古事記伝 和綴じ本を読む

古事記傳』十弐之巻を読破した。
読むスピードを測りながら進めている。
5〜6分/ページのペースは衰えていない。

タイトルには『古事記傳』としないで
傳を当用漢字の『伝』にしてみた。
インターネット検索すると『古事記傳』より
古事記伝』と出てくる事が多い為である。

さて
少年老い易く、学成り難し
漢文の時に今からの人生で留意すべき事と教わった。

音楽を専攻する事にしたのが、高校一年の時。
同じ時期にもう一つの興味を抱いた分野が『言語学』だった。
よくよく調べてみると、外国語の英独仏以外にラテン語ギリシア語もマスターしていないと
研究がおぼつかない事が判ったので、断念。
音楽大学へ進んでからも、『言語学』への興味は捨てがたく、特に語源に関してはどの言語についても事有る度に、本を購入しては勉強してきた。
この時に決心したのが日本では『本居宣長の研究』で有る。
何故本居宣長なのか?審らかではなかったが、ご先祖様との縁と言う事らしかった。
本居宣長と直接関係がある訳ではない。
蒲生氏郷の右筆を仰せつかっていた。と亡き父が先祖の事を話していたからに他ならない。
その松坂繋がりという単純なもの。というより『日本語』と言うものへの興味がヨーロッパ留学以前まではとても強かった。しかしヨーロッパへ渡ってからは、西洋音楽の実践の為に『日本の文化』を捨てる事とした。日本語そのもの、日本食その他様々なものに訣別をするように仕向けた。
お陰で『語源』については、我が師匠のマルセル・モイーズ先生の影響も受けて、フランス語や英語についても真面目に勉強させて貰った。我が敬愛するベルクソンも生誕記念版の全集を紐解いて勉強した。もっとも此の勉強は、我が師マルセル・モイーズ先生の身近に存在した人々をよりよく知りたかったからである。常に『根っこ』を勉強するように云っていたマルセル・モイーズ先生。
先生の延長上にまたしても哲学者が立ちはだかる。ジャンケレヴィッチである。この人の著書を良く理解する為には、高校時代に断念した『ラテン語』『ギリシア語』の勉強が不可欠である。
一昨年に名著と謳われている高津春繁著『ギリシア文法』も購入。
現在の西欧のターゲットはジャンケレヴィッチで有る。
以前ダンテの『神曲』なども参考にして執筆などした関係でこのコメディも原文も一応手元に置いて読んだ。これは楽譜の場合と同じで『原典版』から解釈する音楽家としての自分のクセである。
ダンテやベルクソンや様々な原典版を手元に置き、モイーズ先生に負けないように日夜勉強している。勿論クヴァンツの『フルート試論』やL.モーツァルトの『ヴァイオリン教則本』も原典に目を通している。当然の事を音楽家ととして実行している訳だが、ふと足下を見てみると『源氏物語』や『古事記』『日本書紀』等の日本の古典に疎い自分が居る。音楽家のバランス感覚から云ったら、全くの片手落ちで有る。限られた自分の人生の残りを如何に過ごすか? と自分に問うたら、当然出てくる答えは
『日本文化』の習得の実行。掛け軸一つとっても『何が書いてあるか?』確信を持てない事が間々ある。限られた時間で、二つの事を並行して実施する事を色々考えてみた結論が『和綴じ本』で『本居宣長』の著書を読破する事であった。実際の書よりも少しだけ読みやすい。現在の目標はとにかく『古事記傳』の和綴じ本44册を読破する事である。時間が許せば『賀茂眞淵』の著書も孫引きしておきたい。その後は『源氏物語』を読み、再び本居宣長へ戻って『紫文要領』をじっくり味わいたい。
フルートの演奏や練習の合間をぬって、大体3日間で和綴じ本の『古事記傳』を読み終えるようにしている。今こうしてインターネット用の原稿を認めている間にも、和綴じ本の事が気になってしょうがない。大分長くなってしまったのでこの辺で和綴じ本の世界に戻る事としよう。
此のページを読んで下さっている方。そう貴方です。
『和綴じ本』を読んでみませんか?